4年前のこと
4年前の3月11日、金曜日でした。私は公休日でしたが、たまたま1名様担当しに出勤してました。[adsense]
カットして、パーマを巻いている時、あの地震でした。さすがにおさまるのを待つレベルではないと、スタッフ、お客様全員入り口のドアの前まで。
パーマの一剤がついている状態だったので、これはどういう対応をすべきかかなり戸惑ったのを覚えています。
ひとまずパーマは一旦あきらめ、入り口前で立ったままロッドを外して酸リンス塗布。
幸い揺れはおさまったのでものすごい早さでシャンプー台でお流し、その場でドライ。
その後みんなで隣の駐車場に退避。
美容室密集地帯なので他のお店ではカラー塗布されたまま、パーマ巻かれたままのお客様もいました。
東京、吉祥寺はそこまでで、ひとまずお店は閉め、予約いただいていたお客様に連絡し、解散しました。
駅はアトレの入り口まで大勢の人が座っていて、結局歩いて帰ったり、ぎゅうぎゅうのバスを乗り継いだり、近くの友人宅に泊まったり。
私はチャリなのでスムーズに帰ることができましたが、帰ってテレビをつけるまで、東北の震災ということを知りませんでした。
それからは計画停電の情報共有と、節電、主に掃除の数日。停電の心配がなくなっても、最後のお客様が帰られたら即消灯、連絡事項のみのプチ終礼が続きました。
振り返れば当然キリがないですが、
被災は悲しいことでしかないのも当然で、あまりフォーカスされなくなっても厳しい状況を知る努力をしなければならないのですが、
震災により世界中に日本のことが知られ、災害状況と同じくらい、日本人の国民性の素晴らしさが発信されました。
特に東北人の我慢と忍耐と優しさ。
私も普通の営業ができない中、日本人で、東北人であることに誇りをうっすら感じながら壁を拭いていました。
そして当時まだ腹の中にいた娘の名は、日本を感じるものにしようと決めました。
そんな4年前、3.11の記憶の記録。
写真は練馬です。
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